横浜の港北ニュータウンの散歩道で見られる紫陽花の数々を2回にわたり紹介します。合わせて紫陽花についての様々な雑学知識や蘊蓄(うんちく)をコラムで紹介しています。
今回は、第二回目は主にホンアジサイを始めとしたさまざまなタイプの紹介です。
まだ宅地になっていない農地脇には赤色のガクアジサイがこれぞとばかりに勢いよく咲き誇り、アジサイ山を形成しています。遮るものがないので伸びやかです。
【コラム12】青又はピンクの花を咲かせる方法は?
青い紫陽花を育てるのに土壌を酸性にしたい場合は、鹿沼土やピートモスといった酸性の素材を加えます。
ピンクの紫陽花を育てる場合は、赤玉土や腐葉土を混ぜて作った土に苦土石灰を加えてアルカリ性の土壌にします。
さらに散歩道を行くと、花(ガク)が薄紫で5枚花の八重咲のガクアジサイ。野生のため自由気ままに咲いてます・・。
【コラム13】アジサイの花言葉
☆紫陽花に共通する花言葉
・乙女の愛
江戸時代の恋愛に関する物語が由来です。
・移り気・浮気
紫陽花の色が変化する様子からつけられました。☆ホンアジサイに該当する花言葉
・一家だんらん
ホンアジサイは小さな花が多く集まり一つの大きな花に見えることから、家族の繁栄と仲の良さを象徴しているとされます。☆色ごとの花言葉
・青・紫:辛抱強い愛、無情
・赤&ピンク:元気な女性
・白:寛容
・緑:ひたむきな愛
そう言えば、我が家の玄関には鉢植えのガクアジサイがあります。同じ5枚花ですが、真っ赤な花(ガク)。
ラベンダーなど周りの花と彩を添えています。
【コラム14】「アジサイ」との読み方となった由来
・「藍色の花が集まって咲いた花」を意味する「集真藍」と書いて「アズサアイ」と読みます。それが「アズサイ」と。そして「アジサイ」となまったものとする説が有力です。
・「厚咲き」が転じたものであるとする説。
・「味狭藍」と書いて「あぢさゐ」と読んでいたのが名前の原型という説
同じガクアジサイでも花が包み込むような八重咲のアジサイ。 住宅脇には青紫色のガクアジサイが咲いています。こんもり感が豊かに感じられます・・。
【コラム15】「紫陽花」と漢字で書かれる理由
「紫陽花」という漢字表記は実は日本で生まれた言葉ではありません。中国の詩人、白居易の作った詩に登場する花です。
何年植向仙壇上
早晩移栽倒梵家
離在人間人不識
与君名作紫陽花白居易が杭州の長官だった時に、招賢寺という山寺に行くときれいな花が咲いていました。その時、寺に植えられているのに誰も名前を知らないので「紫陽花」と名付けた、ということです。
白居易の詩は平安貴族の教養の一つですが、源順(みなもとのしたごう)という学者がこの詩の「紫陽花」は「あじさい」の事ではないか、と考えて漢字に当てたのが始まりです。
しかし、この白居易が詩に謳った「紫陽花」という花は、私たちが知るアジサイではないのだそうです。アジサイは日本原産ですから誤りのようです。白居易の詩に登場した花は沈丁花、ライラックではないかとも言われています。
「紫陽花」と漢字で書かれ経緯は、平安時代の推測から生まれたものでした。
八重咲でも花(ガク)の縁が白色で中心が青色の「コンペイトウ」というガクアジサイ。存在感がありますね。
【コラム17】「コンペイトウ」
白い縁取りのあるガクが特徴です。ガクの色は青とピンクの2種類あり、育てる土壌のpH値によって変わります。
はっきりした色味の周りに白い縁取りがあるガクは、小さく可憐な印象です。
アジサイは密集して咲きます。
左下には背が低く咲く薄青のアジサイがありますが、ピンクのホンアジサイが圧倒しています。
【コラム18】アジサイとシーボルト
幕末、オランダ東印度会社の医師としてドイツ人シーボルトが日本に滞在していました。シーボルトはお滝という日本人女性を愛していました。
植物学者でもあった彼は、好きな花である紫陽花にお滝さんの名前にちなんだ名をつけようとしました。その名は「ハイドランジア・オタクサ」。
しかし、紫陽花には別の学術名がすでにあったため、認められることはありませんでした。
その後、シーボルトは国籍を偽って滞在していたことが発覚。オランダに1人で帰国します。帰国後、『日本植物誌』を著しました。その中でアジサイ属の花14種を新種として紹介しています。
傍らには、花(ガク)が紫の八重咲のガクアジサイとそれを圧倒するかのように咲き誇るホンアジサイ。ピンク色が眩しい。
【コラム19】「テマリテマリ」
手まり型をしたセイヨウアジサイです。中央に両性花はなく、ガクだけの紫陽花です。
花の色は土壌のpH値によって変わり、ピンクと青があります。
青、青紫、紫と微妙に色の違うホンアジサイ。土壌に様々な種類の土を混ぜたのでしょうか・・・。
【コラム10】【コラム20】牧野富太郎博士・長崎市の花
NHKの朝ドラの主人公になっていている牧野富太郎博士、アジサイを好んだ博士は、美しい花に花柳界の女性の名をつけたとして強く非難しています。
時代背景を感じます。
長崎市は、シーボルトが献身的に世話をした女性の名前をアジサイに付けるほどに思ったことに鑑み、市の花にアジサイを選んでいます。
ピンクのホンアジサイです。
【コラム21】紫陽花を使ったおまじない。お守りにも使われる理由とは?
古くからの風習で、紫陽花はお守りになる、という言い伝えがあります。
お守りになる理由ははっきりしていないのですが、考えられる理由の一つが紫陽花の形です。アジサイの日本の在来種は「手まり咲き」と呼ばれる丸い形に咲きます。
この丸い形は「薬玉」に似ています。薬草などを詰めた玉を花や五色の糸で飾って魔除けとしていた物です。
紫陽花はこの薬玉と良く似ているので魔除けとして用いられた、という説です。
開花前のホンアジサイ。これから開花するんだという息吹を感じます。
【コラム22】アジサイは人気のない花だった。
現在は、雨の季節の風物詩として人気のあるアジサイですが、昔はそれほど人気のある花ではなかったようです。というのも、万葉集をはじめとする和歌集などの書物には、アジサイについての記述があまりないのです。
奈良時代の万葉集には様々な植物が記されていますが、アジサイが詠まれている和歌はわずか2首だけで人気がありませんでした。
また、平安時代も代表する書物、『源氏物語』『枕草子』『古今和歌集』などには、一切紫陽花の記述がないようです。
その後の安土桃山時代、江戸時代、明治・大正時代になっても人気がありませんでした。
長らく日の目をみない花であった紫陽花は、紫陽花が死者に手向ける花だと考えられたこと、また、変わりやすい色であったことも敬遠される原因でした。
ようやく人気が出てきたのは、第二次世界大戦後のこと…。アジサイが観光資源として注目されたのがきっかけでした。現在では、アジサイが咲く季節になるとたくさんの観光客が名所に訪れるようになりました。
冬アジサイを見つけました。
【コラム23】アジサイの名所が「お寺」の理由は?
アジサイの名所と言えば、「お寺」。なぜ、アジサイの名所にはお寺が多いのでしょうか。
アジサイの季節である6月は天候不順です。昔はこの季節に流行病で亡くなる人が多かったのため、アジサイは死者に手向ける花と考えられ、流行病が起こった地域では、お寺に多くのアジサイを植えるようになりました。時代が進み、流行病で多数の死者が出ることはなくなりました。しかし、紫陽花は増やすのが容易であること、見た目が美しいことから全国のお寺で植えられるようになりました。
今や、観光名所として地域の集客効果の向上に一役買っています。
柏葉アジサイも見つけました。
【コラム24】カシワバアジサイ
白いガクが集まって円錐形に咲きます。一番の特徴は、葉の大きさと形です。葉は20cm前後と非常に大きく、形は柏餅に使われる柏の葉に似ています。
コラムの目次
【コラム1】紫陽花は大きく分けて5種類
【コラム2】ホンアジサイとは
【コラム3】アジサイの色と色の移り変わり
【コラム4】咲き方は主に3通り
【コラム5】紫陽花の花に見えるのは実はガク
【コラム6】装飾花の真ん中にあるのは何?
【コラム7】ガクアジサイとは
【コラム8】アジサイの別名
【コラム9】ヤマアジサイとは
【コラム10】ガクアジサイとヤマアジサイの見分け方は
【コラム11】土の酸性・アルカリ度が色を変える。
【コラム12】青又はピンクの花を咲かせる方法は?
コラムの目次
【コラム13】アジサイの花言葉
【コラム14】「アジサイ」との読み方となった由来
【コラム15】「紫陽花」と漢字で書かれる理由
【コラム16】アジサイは金属集積植物
【コラム17】「コンペイトウ」
【コラム18】アジサイとシーボルト
【コラム19】「テマリテマリ」
【コラム20】牧野富太郎博士・長崎市の花
【コラム21】紫陽花を使ったおまじない。お守りにも使われる理由とは?
【コラム22】アジサイは人気のない花だった。
【コラム23】アジサイの名所が「お寺」の理由は?
【コラム24】カシワバアジサイ