11月初旬には季節外れとも思える高い気温の日が続きました。
いつ秋が来るのか?
このまま12月を迎え、冬は来るのだろうか?
この後どうなるのだろうか?
そう思うほどの暖かさでした。
しかし、11月20日を過ぎるとすっかり秋の装い。
玄関わきの小さな花壇をふと見ると秋の彩りが目に飛び込んできました。
一カ月前には鮮やかなオレンジ色に色づいていた“ほおづき”。
今目の前にあるのは“ぼんぼり”のように変身した“ほおづき”です。
小さな実を包み込む丸いかごのような形です。
細い竹ひごで精妙に編んだような姿は華麗です。自然の造形美。
赤い実を包んでいたのは花の周りにあったガク(萼)。
花が終わり実が付くと数枚のガクが実を包み込んで丸くなります。
そしてやがて葉脈だけが残るのだそうです。
どうしてガクが実を包み込むのか?
せっかく実をガクが隠していたのに、どうして球体の表面が溶けて中の実が見えるようになってしまうのか?
理由はわかりません。
鳥にとってはオレンジ色の実はひときわ目立ちます。ぼんぼり状に囲まれた実はいとも簡単に見付けられます。
植物にとって鳥は実の中の種を運んでくれる子孫のつなぎ役です。だから運んでもらうために目立つという巧妙な戦略かもしれません。
8月12日が誕生花のほおづき。
この花は朽ちてもなお美しく佇む。秋ならではの風景です。
そして、ほおづきの周辺には紫色と白の小さな花がそよ風にたなびいています。「ミヤコワスレ(都忘れ)」です。
群生した花はけっして華やかではなく、洗練された趣はありません。
咲く花は村で育った素直な娘の風情で、着飾っているわけではなく純朴さを感じさせます。
しかし、精一杯に花弁を開き今を一生懸命生きているかのようです。
見る者にとってはどこか慰められる趣があります。
飾らない可憐さに心を落ち着かされる風情。
この花の由来になった順徳天皇の思いもむべなるかな。
遠く都から離れた佐渡島で都を想い出させる優しい花。
この花は短い秋を彩る名脇役です。
コラム1 “ほおづき”とは?
ナス科の植物で、8月12日の誕生花です。。
②酸漿:漢名(さんしょう)
原産地は日本ではなく、南アメリカとも東アジアともといわれています。
特徴
・ホオズキは5月から6月ごろ、伸びた茎の各節に薄クリーム色の花を咲かせます。花が受粉すると果実だけではなく、萼も非常に大きく成長し、袋状に果実を包み込みます。袋状に育った萼は、最初緑色ですが、8月ごろから朱赤に色づきます。
・浅草寺の「ほおずき市」で、毎年夏に鉢仕立てのホオズキが売られるのが有名ですが、もともとは果実が解熱薬になる、同じホオズキ属のセンナリホオズキを買い、夏の病気に備えたのが始まりです。
・熟したホオズキの袋状の萼は、水につけておくと柔らかい組織が溶けて葉脈だけが網状に残り、非常に美しい飾りとなります。
赤い袋の部分
ほおずきの赤い袋は、ガク(花びらの周りの部分)が大きく膨らんだもの。花が咲き終わると、ガクが発達して大きくなり、果実を包み込み袋状になっていきます。
そしてガクも赤・オレンジ色になっていきます。他の植物にはない、不思議な特徴です。
花言葉
ほおずき(鬼灯)の花言葉は「自然美・心の平安・偽り」などがあります。
この「偽り」というほおずきの花言葉は、ほおずきの実が大きく見えるのに対し、中身は空洞で種も思っている以上に小さいことが由来になっていると言われています。
語源・由来
ほおずきの名前の由来は、様々
ほおずきが赤く染まることから、頬を連想させるという説
②「頬突き」
膨らんだ様子が頬を連想させることと、ほおずきを鳴らして遊ぶ際に頬を突きだしているからという説
③「ホオズキ」
蟄(ホオ)という臭虫が好んで付きやすい植物という説
④「火火着(ほほつき)」
実を包んでいる部分が赤く、火が付いて見えることからの説
漢字表記
ほおずきの漢字表記には、主に3種類があります。
①鬼灯
実(身を包んでいるガク)が赤い提灯のイメージで付けられました。
鬼が持っている、提灯ということなのでしょうか……。お盆にホオズキを飾るのは、赤い実を提灯に見立て、ご先祖様の霊に迷わず帰ってきていただくためです。
「ほおずき」とも読みますが、同じ漢字で「さんしょう」とも読まれています。「酸漿」という漢字表記は、生薬名で使われ、咳止め・解熱・利尿薬です。
③法月
花屋やホームセンターなど店頭などで簡単に読ませるように当てられた当て字。
コラム2 “ミヤコワスレ”とは?
ミヤコワスレはキク科の多年草です。原産地は日本で、本州や四国、九州の山間に自生するミヤマヨメナの園芸品種にあたります。江戸時代では茶花として栽培されていました。
〇特徴
草丈は20~50㎝ほど。4~6月に花茎を垂直に伸ばし、枝分かれした先端に1個ずつ径4㎝程度の頭花をつけます。中心部の黄色い筒状花の集まりを、1枚の花弁のように見える10~15枚の舌状花が取り巻きます。
〇由来
「都忘れ」という名前は、佐渡島に伝わる順徳上皇の伝説にちなみます。
順徳上皇(1197-1242年)は後鳥羽上皇の第3皇子で、鎌倉時代の第84代天皇(在位1210-1221年)でした。
1221(承久3)年に父である後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府に対して挙兵しましたが、大敗します。当時20代の青年だった順徳上皇は佐渡島に配流され、そこで生涯を終えました。この戦いは「承久の乱」と呼ばれ、貴族政治から武家政権への転換を決定づけました。
佐渡に流された順徳上皇は毎日、都のあれこれを恋しく思って悲嘆に暮れていました。ある日草でぼうぼうになった佐渡の庭に一茎の野菊が紫色に咲いているのに目をとめ、心を慰められました。菊は皇室のシンボルであり、とりわけ白菊は父帝・後鳥羽上皇が愛した花です。順徳上皇は、その花を住まいの周辺に植え、「都忘れ」と名付けて、慈しんだといいます。
〇花言葉
ミヤコワスレの花言葉は「しばしの慰め」「しばしの憩い」「しばしの別れ」。順徳上皇が「ミヤコワスレを見たことで都への思いを忘れられる」と話されたとのエピソードが由来です。
〇順徳上皇の逸話
「紫といえば京の都を代表する美しい色だったが、私はすべてをあきらめている。
花よ、いつまでも私のそばで咲いていておくれ。
都のことが忘れられるかもしれない。
お前の名を今日から都忘れと呼ぶことにしよう」
と、傷心のなぐさめにしました。