ルミアージュ

19世紀に花開いたシャンパン・・・シャンパンのそうだったのか!⑮

(「自然発泡」の約150年と「人工的な発泡」ワインへの転換)

 ドン・ピエール・ペリニョンが、自然に発泡する泡と対峙しコルクを使い、自然発泡のワインを造っていたのは17世紀前後でした。
発泡ワインはフランスやヨーロッパ各国の宮廷など上流社会の人々に人気がでて需要は拡大しましたので、生産者はシャンパン・メゾンを立ち上げるなどして供給が拡大してきました。

 それでも、冷涼なシャンパーニュ地方では毎年成熟したブドウを十分に確保できるとは限らず、良質な発泡性ワインを造るのには苦労しました。アルコール発酵が十分できない未熟なブドウでは発泡は起きないからです。
そして、何より発泡は自然任せで発酵が進み過ぎると瓶内のガス圧が高まり、瓶の破裂が起こりました。この瓶の破裂問題を解決できたのは19世紀前半でした。実に150年近くかかったのです。

 19世紀に入ってようやく、シャンパンが「自然発泡」から抜け出し、泡を知恵と工夫による「人工的な発泡」のワインに転換できるようになってきました。
 19世紀の前半は数々の技術的発展がもたらしたものです。その歩みをみてみます。

(19世紀前半の技術革新)

●未熟なブドウからでもアルコール発酵を促進する技術

 冷涼な地域のシャンパーニュ地方では完熟しにくいうえに、日照りが少ない年のブドウは糖分が十分でなく、良質なワインが造れません。加えて、発泡性ワインを期待しても必ずしも自然発泡が起きるとは限りません。

 この状況に対してモンペリエ大学の科学部長であったジェーン・アントワーヌ・シャプタル「ブドウの収穫時に圧搾機の中に砂糖を添加する」ことを提唱しました。この加糖は「シャタリザシオン(糖分添加」」と呼ばれ、このシャタリザシオンによってアルコール度数が高まりますので非常に効果があります。後に彼がナポレオン1世の内務大臣(1800~1805年)を務めた時、訓令を出しましたほどです。
 

●ワインを澄んだものにする(清澄化)技術

1810年代にヴーヴ・クリコ「ルミアージュ(動瓶)」という工程を発明しました。
発泡ワインは瓶内二次発酵の過程で酵母の死骸をはじめ様々な澱が液内を漂います。これをボトルの首の部分に集めるのです。「ピュピトル」という逆V字形の木の台を使って酵母の死骸をはじめとした様々な沈殿物として集める方法です。

・また、ボトルの首に集められた沈殿物を取り除くのに、ワインを多く損出することなく効率的に行う必要があります。
1884年、シャンパーニュメゾンの経営者、Armand Walfardが、澱を凍らせて固めてから取り除く「デゴルジュマン(澱抜き)」の方法を発明しました。
デゴルジュマンをするためには、まずボトルの瓶口を-27℃の溶液に浸します。これにより瓶口に集められた澱が凍って塊になります。この状態で栓を開け、内部の気圧によってこの氷塊が弾き出させます。このとき失われる気圧とワインはごく少量です。

 この「ルミアージュ」と「デゴルジュマン」技術によりワインはグラスに注いだ時に沈殿物がなく澄んで注ぐことができます。そして、心地良く飲めるようになりました。

ピュピトル
ピュピトル
ルミアージュ
ルミアージュ
デゴルジュマン
デゴルジュマン

●瓶の破裂を防ぐ技術

1836年に薬剤師、ジャン・パティスト・フランソワが発明した糖分測定器は、加糖したワインの含有糖分から瓶内二次発酵によって発生する炭酸ガスの量を測ることができるようになりました。この“糖度濃度の測定法”を定式化させて壜の破裂率を25%から4%に激減させ安定化させたのです。

 この時は、なぜ糖分から炭酸ガスが発生するのかはわからなかったのですが、1860年にルイ・パスツールがついにその解明をしました。それまで謎であった酵母と発酵の関係がついに解き明かされました。

・そして、1877年、大学教授エドゥアール・ロビネがワインの量と加える糖の混合比を解明し、「リキュール・ド・ティラージュ(ワインに糖分と酵母を加える工程)」と名付けました。

 これらの発明や知見により、瓶の破裂を防ぐことができるようになったのです。

●瓶を確実に安定的に密封する技術

 泡が瓶から大気中に放出してしまわないよう確実に安定的に密封する必要があります。このための工夫が様々なされました。

1825年にはボトル充填機、1827年にはコルク栓をボトルに詰める打栓機が造られました。

1844年にアドルフ・ジャクソンがコルク栓を抑える金具「ミュズレ」と「キャップシール」を発明しました。

ウィリアム・ドゥーツはコルクと針金の上に被せる金属のフィルムを開発しました。(アドルフ・ジャクソンの「キャップシール」を上回るものでした)

1844年から1846年にかけてボトルの洗浄機、高精度のコルク打栓機などが造られ工業化が進みました。

ミュズニー
ミュズニー

●シャンパンの甘辛調整

 澱抜き後の瓶詰め前にアルコール度の高いリキュールを加えて発酵を止め、最終的な糖分調整をする「ドサージュ」という工程があります。
シャンパンは甘辛度を調整するのですが、このドサージュに関して、カデット・デ・ボークスワインの糖度を測定する方法を編み出したことでワインを子細に分析できるようになり、ドサージュを的確に行えるようになりました。

(19世紀後半の市場拡大と機械化)

 シャンパンがフランスの辞書に初めて収録されたのは1860年代でした。辞書の定義は「熟練の技で生産されたワイン」「ただのワイン以上のすぐれたもの」というものでした。この時代、シャンパーニュに住む人々が「黄金時代の頂点に立っている」と考えるようになったのです。

 折しも、ナポレオン3世の時代(即位1852年12月~1871年)で、シャンパーニュにも更なる繁栄の時代をもたらしました。
その大きな要因は鉄道網の建設でした。フランス全土の大規模な近代化を進める要として1852年から1870年の間に鉄道網は6倍に増加しました。
シャンパーニュにとって鉄道網の拡大により新しい市場が手近なものになり、年間の販売量(国内)は20~30万本から2500万本へと急増しました。

 一方で、需要に応えるべく製造面でも更なる発展が19世紀前半に続きありました。蒸気機関を利用することで、家内工業から効率的な機械化に進展したのです。流れ作業のライン、コルク詰め機械、貨物用エレベータなどです。

 これら販売・製造面の進展によりシャンパンメーカーも19世紀初めにはわずか10社ほどでしたが今や300社以上と発展してきました。

ナポレオン3世
ナポレオン3世
19世紀年表
19世紀年表
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