オーヴィレール修道院

ワイン造りが教会を支えた・・・シャンパンのそうだったのか!⑥

 キリスト教の影響が大きかった中世ヨーロッパでは、ワインは「キリストが流した犠牲の血」であり、聖なるものとして修道院や教会で造られていました。
ここでは、教会とワインの歴史的経緯を見てみます。

(十字軍遠征が教会・修道院のブドウ畑を拡大させた)

 十字軍1096年の第一回の遠征から13世紀の第七回まで繰り返されました。
この十字軍遠征に向かう戦士たちは、戦死した際の自らの救済を確かなものとするために、「ブドウ畑を含む財産の一部を教会に寄進する」旨の遺言書を残しました。

 結果、教会の所有する土地は劇的に増えました。
18世紀後半のフランス革命時にはフランスの農地の約一割はブドウ畑で、その半数は教会所有でした。

(教会・修道院がブドウ畑を持ち、ワインを造る)

 フランス革命以前のフランスにおいては、貧者や病める者の面倒をみるのは牧師などに任されていました。
中世におけるブルゴーニュやシャンパーニュ地方では、富豪たちは生前中や死後にお金や土地を僧院に寄付していました。ただ、そのような慈善事業の継続は経済的に大変でした。

 このため、例えばブルゴーニュのオスピス・ド・ラ・ボーヌの養老院兼療養所のように、自ら所有するブドウ畑から収穫したブドウからワインを造り、毎年11月の第三日曜日に競売にかけて運営資金にしなければなりませんでした。
 ドン・ピエール・ペリニョンの在籍したオーヴィレール修道院も同様にブドウ畑を幾つも所有しワインを製造していました。


(修道僧は当代きってのワイン醸造学者だった)

 さらに、ワインは教会にとってミサの執行、病人の治療、旅人や巡礼者のもてなしに欠かせないものでした。そして、何よりワインは教会の財政的な支柱でもありました。ワインを造り売るだけでなく、管轄する地のブドウ栽培者からは「十分の一税」を徴収していました。その際にブドウやワインで支払われることも多かったのです。

 このようにブドウ栽培やワイン製造は教会が担っていました。その主体者は修道僧で、彼らは心血を注いでいました。中世において修道僧は良質なワインを造る当代きっての「ワイン醸造者」だったのです。

オーヴィレール修道院
オーヴィレール修道院

(荒廃した教会・修道院のブドウ畑)

 しかし、教会のブドウ畑も苦難の時代がありました。
 まず、十字軍遠征が終わったころから16世紀までです。3世紀にわたって教会も荒廃の憂き目を味わっていました。十字軍遠征から帰った騎士や領主は遠征前のように領土をめぐって争いを繰り返していたからです。略奪が常習化しオーヴィレール修道院も略奪を受け、4回も焼き討ちにあいました。
 その結果、16世紀の終わるころにはほとんど廃墟になってしまいました。
 1337年から始まった百年戦争はこの地域を繰り返し荒廃させましたし、1560年には宗教戦争によって修道院は破壊され修道士は40年間ランスに隠棲していました。
17世紀に入っても、30年戦争では軍の一大練兵場になり、1648年のフロンドの乱では傭兵たちにより荒らされました。1660年代になってもルイ14世によるオランダとドイツに対する戦争で軍隊が絶えず駐留したいました。
 オーヴィレール修道院の修道僧は何十年もたゆまず働き続けましたが、立ち直るにはドン・ピエール・ペリニョンが登場する1668年以降まで待たなければなりませんでした。

 次の苦難の時期は1789年のフランス革命以降です。
フランス革命時に、修道僧をはじめ聖職者は革命に参加した群衆の標的となりました。
 その理由は教会の特権にありました。教会は、ワインを売る際に課せられる課税を免除されているばかりでなく、ブドウ栽培者に対して先に述べたような「十分の一税」を課していました。またブドウ栽培者は自らのブドウを売るのに、修道僧がブドウを売る前には売ってはならないとされてもいました。
このような教会に対する風当たりは強かったのです。
 このため革命では、教会の財産は国有化され、その後に売りに出されました。シャンパーニュ地方では最良の畑は教会が所有していましたが、個々のブドウ栽培者が購入し、細かく分割されたのでした。ただ、オーヴィレール修道院の畑だけは分割されず一括して、後のモエ・エ・シャンドン社が所有することになりました。



オーヴィレール修道院 位置
オーヴィレール修道院 位置

(※1)十字軍の時代:1097~1270年にわたって7回の遠征
(※2)百年戦争:1337~1453年、イングランド王がフランス国内に領土を有し、フランスの王位継承権を争ったことで、フランスを戦場にイングランド,フランスの間で断続的に行われた戦争
(※3)宗教戦争1517年、ルターによって切り開かれたプロテスタント(新教)とカトリック(旧教)の対立が激化し、16世紀中頃から17世紀前半の約1世紀間、ヨーロッパで吹き荒れた戦争。  まずドイツのシュマルカルデン戦争(1546~47)、フランスのユグノー戦争(1562~98)など内戦。旧教国スペインから新教徒の国オランダが独立を求めて戦ったオランダ独立戦争(1568~1609)
(※4)30年戦争:1618~48年、ドイツのキリスト教新旧両派の宗教内乱から発展した最大の宗教戦争。ヨーロッパの各国が介入した国際的な戦争
(※5)フロンドの乱:1648~53年、ルイ14世の中央集権化に反発した貴族の反乱

オーヴィレール修道院
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