ドン・ペリニヨン銅像(エペルネのモエ・エ・シャンドン本社)

救世主となったドン・ピエール・ペリニョン・・・シャンパンのそうだったのか!⑩

(シャンパン・メゾンの販売戦略)

 第一次世界大戦後にはシャンパーニュ地方も経済不況に陥り、、不況からの脱却を図るためにシャンパン・メゾンたちがある企画を思いつきました。
シャンパン振興会の元祖である「シャンパーニュ地方ワイン商業組合」(1882年発足)の企画です。

 1932年にドン・ピエール・ペリニョンによる発泡性シャンパンの発明250周年を記念する祝典を実施しました。
記念日に選んだ日は明確な根拠のある日ではありませんでした。そして、何よりもドン・ピエール・ペリニョンはシャンパンを発明したわけではありませんでした。彼は葡萄の栽培技術を向上させ、黒葡萄から白ワインを造る圧搾方法を生み出し、異なる葡萄畑の葡萄を芸術的にブレンドするなど、高品質なワインを造り出しました。
彼の功績は、将来の高品質な発泡性ワインが造られるための道を開いたことです。

 記念式典は、3日間にわたり修復されたオーヴィレール修道院で開催され、シャンパンの売り上げは向上しました。
そして、これを機にドン・ピエール・ペリニョンは時の人となりました。「シャンパンの父」と喧伝されたのです。
シャンパン・メゾンはシャンパンの知名度を上げるための販売向上のためにドン・ピエール・ペリニョンを前面に打ち出したのです。

(ドン・ピエール・ペリニョンにまつわる伝説)

 ちなみに、ドン・ピエール・ペリニョンにまつわる次のような多くの伝説があります。

 この伝説について「ワイン物語」のヒュー・ジョンソン氏は、修道院の最後の出納役であったドン・グロサールが頭の中で造ったようだと述べています。ドン・ピエール・ペリニョンは存命中にほとんどシャンパーニュの守護人と言われるまでになっていて、ドン・ピエール・ペリニョンの高い評判をさらに高めようとしたのではないかと。
 彼は、それほどオーヴィレール修道院の立て直しに貢献しましたし、シャンパーニュのワインの質の向上に寄与しました。

(シャンパン「ドンペリ」)

 そして、彼が一生を捧げたオーヴィレール修道院とブドウ畑は、1797年からモエ・エ・シャンドン社が所有し、同社が1927 年にメルシエからドン・ペリニヨンの商標権を獲得。モエ・エ・シャンドンは1936年に英国進出100周年を記念して1921年ヴィンテージの特別なシャンパン通称『ドンペリ』を生み出したのです。

ドンペリ像
ドンペリ像
ドン・ペリニヨン銅像(エペルネのモエ・エ・シャンドン本社)
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