ルイナール

最古のシャンパンメゾン、ルイナール・・・シャンパン・メゾン③

 シャンパーニュで1729年に最古のシャンパンメーカーであるルイナール社を起こしたのはニコラ・リュイナールという人物です。この頃、宮廷では発泡性ワインが人気になっていました。
 メゾンを立ち上げた1929年はルイ15世が発泡性ワインの運搬に瓶を用いることを許可した1928年の翌年でした。それまで樽での運搬しか認められていなかったのですから、瓶での運搬は発泡性ワインの流通、販売には好環境になったといえるでしょう。

 彼はもともと羊毛商であり羊毛の顧客を相手にワインを売り始め、ワイン業に転身しました。
オーヴィレール修道院にてドン・ピエール・ペリニョンを手助けした高僧ドン・ティエリー・リュイナールを伯父に持ち、薫陶を受けていたのです。

ドン・ティエリー・リュイナールは当代きっての博学家・文筆家で普段はパリに居住していましたが、ブドウの収穫期が終わるまで毎年オーヴィレール修道院に居て、ドン・ピエール・ペリニョンの手助けをしていました。

 創業者ニコラ・リュイナールの後継者がクロード・リュイナール
彼はランス出身の弁護士でしたが、本社をエペルネからランスに移し、ローマ時代のカーヴの利用を始めました。大胆にも、当時放置されていた丘の地下にあるローマ時代のクレイエルを買い取りました。
程なくクレイエルがシャンパーニュの保存に最適な場所であることが判明し、ランスのサン・ニケーズの丘にシャンパーニュメゾンの進出を大々的に推し進めました。
しかし、なんとルイナールはクレイエルを幾つかのメゾンに売却してい ます。

 現在、ルイナール社のクレイエル、カーヴは地下30m、長さ8kmにも及び、第一次世界大戦の際には住民の避難に大いに活用され、そのためにひどく痛めつけられ、第二次世界大戦ではドイツ軍の標的になりました。
現在では国の指定した歴史的モニュメントにもなっています。

 ルイナール社はモンターニュ・ド・ランス地区の由緒あるシルリー村周辺にシャルドネ中心の畑を持っており、「シャルドネハウス」という愛称を付けられています。
  ちなみに、1963年にモエ・エ・シャンドン社がルイナール社の株の8割を取得したため、現在、同社はモエグループの傘下になっています。
しかし、シャンパンの製造は独立していています。
リュイナールのシャンパンは深みを持つ香りと柔らかな口当たり、豊かな果実味,爽やかな後味に定評があります。

ルイナール
ルイナール
ルイナール ブラン・ド・ブラン
ルイナール  ブラン・ド・ブラン
ルイナール
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