G.H.マム

歴史の波に翻弄された品格と親しみのメゾン G.H.マム・・・シャンパン・メゾン④

 G.H.マムは多くのシャンパン・メゾンの中でもその歴史の起伏に富んだ会社です。
その変遷の中で生み出されたシャンパンの香り、口当たり、飲み心地の良さは「Soft&Mild」との形容が相応しいとよく言われています。
コルトン・ルージュに代表される人気シャンパンを生んだG.H.マムの「そうだったのか」を紹介します。

進取の気性に富んだ創業者たち

 創業者はドイツ人で、3代にわたり現在のG.H.マムの基盤を築き上げたました。
G.H.マムのホームページによると、1827年の創業に至る経緯について次のように述べています。

 男爵と騎士の家系を持つマム家の始まりは12世紀にまで遡ります。1761年にはすでに、ドイツのケルンにて、オーナーであったピーター・アーノルド・マムの名前を社名とする「P.A.マム」としてワインの製造・販売を手がけており、ライン川流域に所有する広大な畑で収穫されるブドウを使ってワイン造りを行っていました。

 19世紀の初頭、ピーター・アーノルド・マムの3人の息子たち、ゴットリーブ、ジェイコブス、フィリップは、フランスのシャンパーニュ地方で生産されていた高品質の発泡性ワインの将来性に注目しました。当時のドイツとフランスは友好関係にあったことから、3人は、国境を越えてランスに拠点を構え、1827年に正式にシャンパーニュ メゾンを創業しました。 1852年、3人の息子たちの息子のひとり、ジョルジュ・エルマン・マムが会社を引き継いだのを機に、社名は「G.H.MUMM et Cie」に変更されました。

 ジョルジュ・エルマン・マムは、メゾンの創成期を支えた先祖たちの冒険心に触発され、シャンパーニュ造りを広めるため、ヨーロッパをはじめ、オーストラリアやニュージーランドなど世界中を精力的に訪れました。その結果、20世紀を迎える頃には、アメリカ、ロシア、カナダをはじめ、ブラジルやペルーなどに約20社の子会社が設立されるまでに成長していました。

G.H.マム
G.H.マム
G.H.MUMMのラベル
G.H.MUMMのラベル

苦難にもめげず立ち直る

 しかし、第一次世界大戦が1914年に勃発し、ドイツ系移民であるマム社のヘルマン・フォン・マムは逮捕され、会社は敵性資産として没収され1920年にフランス政府によって競売にかけられました。市民権を申請していたが開戦までに手続きが完了していなかったのです。

 買ったのは「デュポネ社」。フランスで有名なアペリティフを作っている会社です。
社長がルネ・ラルーという人物で獅子奮迅の働きをして、ランス市最大のメーカーにまで成長させました。アメリカに販路を拡大し英国でもヴィクトリア女王の愛顧を受けるようになったのです。

 そして、ラルーに相続人がいなかったために株を手放し、現在はカナダの「シーグラム」が同社を経営しています。

格式と庶民性の両立統と品質を重んじる姿勢)

 G.H.マムは、1840年頃から自社畑所有に取り組みはじめ、 ランス郊外に330haのブドウ畑 を所有しています。シャンパンに使用するブドウの25%は、8つの村(アイ、ブジー、アンボネ、ヴェルジー、ヴェルゼネ、マイイ、アヴィズ、クラマン)のグラン・クリュ(特級畑)を中心に所有する 218haの自社畑 からなっています。

 収穫の大部分を占めるピノ・ノワール(78%)は、モンターニュ ド ランス地区で生産されています。また、コート デ ブラン地区にあるクラマンとアヴィズのグランクリュではシャルドネを、ヴァレ ド ラ マルヌ地区ではピノ・ムニエを生産しています。

 残りの75%は、G.H.マムが信頼関係を保っている生産者のもとで育てられたブドウを使用しています。自社畑のブドウと厳選されたパートナーの高品質なブドウの組み合わせにより、創業以来からの理念「 最高のシャンパーニュだけ 」を追求し続けています。いかにしてブドウ品質を向上させるかなど、 フランスの科学研究機関 や フランス気象庁 などと 協力 し新製法の開発を行い、 最高品質のシャンパンを提供する努力を重ねています。

 G.H.マムでは、各畑におけるブドウの栽培から、圧搾に至るまでの工程において、品質管理体制を確立していました。所有するそれぞれの畑に圧搾機を設置したことにもその姿勢が現れています。1840年にヴェルゼネに最初のブドウ畑を購入すると同時に設置した圧搾機は、今も使われています。

G.H.マムの所有するブドウ畑の村
G.H.マムの所有するブドウ畑の村

伝統と品質を重んじる姿勢

 1873年にはコルトン・ルージュを販売し大当たりしました。
1876年、ジョルジュ・エルマン・マムがキュヴェ ブリュット(辛口)のボトルネックに赤いシルクのリボンの装飾を施しました。

 このリボンは、フランスで最も権威ある勲章であるサン ルイ勲章やレジオン ド ヌール勲章の受賞者に授与される赤色の綬(フランス語でコルドン ルージュ)からヒントを得たものでした。 コルドン ルージュは、会食やお祝いの席に欠かせないシャンパーニュとして各界の著名人に選ばれ続けています。

 そして、G.H.マムは、1900年頃より オーストリア・ハンガリー帝国 、ベルギー王国、 オランダ王国 、スウェーデン王国、ノルウェー王国などヨーロッパ各国の王室で愛飲されてきました。1904年には英国王室御用達のシャンパンに指定され、 バッキンガム宮殿での祝宴に供されるようになりました。現在でもエリザベス2世御用達のシャンパンとして愛されるG.H.マムは、その証としてボトルネックに、英国王室御用達の印である王家の紋章が記されています。ちなみに、英国王室御用達のシャンパンは9つのメゾンのみです。

 その一方で、G.H.マムは庶民にも身近なシャンパンです。モエ・エ・シャンドンのドンペリと同じように人気があるもののドンペリほど高価でなく、フランスであればどの地のバーでも売られているそうです。

G.H.MUMMの「コルドン・ルージュ」
G.H.MUMMの「コルドン・ルージュ」
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