- 2023年12月27日
歴史の波に翻弄された品格と親しみのメゾン G.H.マム・・・シャンパン・メゾン④
G.H.マムは多くのシャンパン・メゾンの中でもその歴史の起伏に富んだ会社です。その変遷の中で生み出されたシャンパンの香り、口当たり、飲み心地の良さは「Soft&Mild」との形容が相応しいとよく言われています。コルトン・ルージュに代表される人気シャンパンを生んだG.H.マムの「そうだったのか」を紹介します。
G.H.マムは多くのシャンパン・メゾンの中でもその歴史の起伏に富んだ会社です。その変遷の中で生み出されたシャンパンの香り、口当たり、飲み心地の良さは「Soft&Mild」との形容が相応しいとよく言われています。コルトン・ルージュに代表される人気シャンパンを生んだG.H.マムの「そうだったのか」を紹介します。
19世紀に入ってようやく、シャンパンが「自然発泡」から抜け出し、「人工的な発泡」のワインに転換できるようになってきました。19世紀の前半は数々の技術的発展がもたらしたものです。●未熟なブドウからでもアルコール発酵を促進する技術●ワインを澄んだものにする(清澄化)技術●瓶の破裂を防ぐ技術●瓶を確実に安定的に密封する技術●シャンパンの甘辛調整そして、ナポレオン3世の時代にシャンパーニュはさらに繁栄の時を迎えました。その大きな要因は鉄道網の建設でした。製造面でも更なる発展がありました。シャンパンメーカーも19世紀初めにはわずか10社ほどでしたが今や300社以上と発展しました。
20世紀が幕を開けると、シャンパーニュには募る不安が漂い始めました。鉄道は、メゾンにとっては武器でした。。鉄道輸送はシャパーニュ地方以外の安いブドウの入手をもたらし、メゾンが使い始めた一方で、ブドウ栽培者にとっては災いでした。 1911年1月には栽培者たちがメゾンを襲うという暴動が起こり、半年余り騒乱状態が続きました。また、シャンパーニュ地方の帰属問題を巡り、マール県とオーブ県は対立しました。時の政府は有効な策を打ち出せず、1911年2月にはオーブブドウ栽培者が大規模なデモを起こしました。またマルヌも1万人もの大群衆による暴動を起こす騒ぎになりました。 1927年になるまでこの紛争の収拾には時間がかかりました。第一次世界大戦が教訓となったのです。そして1941年、シャンパーニュ委員会(シャンパーニュ地方ワイン 生産同業委員会)が設立されました。
18世紀前半までシャンパーニュの酒造家たちは発泡性ワインには尻込みしていました。ワインの泡が瓶を爆発させ危険だったのです。 このころのガラス瓶は発泡性ワインの内圧に耐えられるものではあなく、1745年頃、瓶の破損数は3分の1に達し、ときには、カーヴのボトルの半数が破損してしまうこともありました。マルヌ県ですら、赤ワインが主体で、発泡性ワインは1/3に留まっていました。 1836年にフランソワが瓶の中で再発酵するワインの炭酸ガスの量を予知する実験に成功し、ようやく以前より危険な仕事ではなくなりました。
ルイ16世、フランス革命の時期にはシャンパーニュ地方での状況は悪化していました。フランス革命後には教会の所有するブドウ畑は国有化され、小さな区画に分割されブドウ栽培者に売りに出されました。混乱を収拾したのはナポレオン1世でシャンパーニュに繁栄の時代をもたらしました。 ナポレオン1世はシャンパンの品質向上に寄与しています。収穫時にブドウの圧搾機の中に砂糖を加えてアルコール濃度を上げる方法(シャプタリザシオン)を提唱しました。ブドウが熟さないシャンパーニュ地方にとって重要な方法でした。
シャンパンメゾンの生まれた背景と各メゾンの設立を記載しています。1727年のリュイナール、1743年のモエ・エ・シャンドン、1757年のアンリ・アベレ、1760年のランソンとトゥラモット、1772年のヴーヴ・クリコ、1776年のルイ・ロデレール、1785年のバイパー・エドシックなどです。
ルイ14世&15世時代はシャンパンの黎明期でした。ルイ14世は50年にわたりシャンパーニュのワイン以外めったに飲みませんでした。 ルイ14世とドン・ピエール・ペリニョンは同じ年に生まれ、同じ年に亡くなりました。ルイ15世の時代に宮廷で好んで飲まれていました。1730年までにシャンパンはヨーロッパの宮廷を支配しました。
1932年にドン・ピエール・ペリニョンによる発泡性シャンパンの発明250周年を記念する祝典が実施されました。以来、「シャンパンの父」と喧伝されました。そして、モエ・エ・シャンドンは1936年に英国進出100周年を記念して特別なシャンパン通称『ドンペリ』を生み出しました。
ドン・ピエール・ペリニョンが現在のような発泡性ワインを造った先駆者との通説がありますが、これは正しくありません。ワインの発泡性自体を発見したわけではありませんでしたが、今日の高品質な発泡性ワインが造るための道を開きました。
シャンパーニュ地方のワインが発泡性ワインに変わっていった契機は17世紀末から。自然発砲のやや泡立つワインは、一部の貴族階級や富裕層の間で好まれるようになりました。1690年から、「ヴァン・ド・シャンパーニュ」(シャンパーニュのワイン)という言葉が使われるようになりましたが。実は、自然発泡性ワインに注目したのは、フランスでなく英国でした。