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20世紀

  • 2023年12月29日

20世紀初頭は苦境の連続だった・・・シャンパンのそうだったのか!⑰

 1914年に起こった第一次世界大戦戦争ほどシャンパーニュ地方に大きな影響を与えた戦争はありませんでした。地上にあった全てのものが地下に潜りました。ドイツ軍が手あたり次第にシャンパンを飲みつくしました。 1918年11月11日、大戦はようやく終結しました時には、ランス市の98%が破壊され、4万戸の家の内残ったのはわずか40戸という有様でした。シャンパーニュの人口の半分以上が失なわれ、エーヌ県では3分の2を失いました。ブドウ畑にも大きな影響を受けました。ボルドーが被害を受けた1870年から20年も経ってやってきたフィロキセラ害が大戦中に拡大し、シャンパーニュ地方のブドウ樹を根こそぎ引き抜き、アメリカ産の台木で植え直さなければならない状況に至ったのです。 さらに悪いことに、大戦による経済低迷がシャンパーニュ地方は苦境に追い込みました。シャンパンは卓越し、カーヴにもシャンパンが溢れていましが、不況のため買い手がいなかったのです。

  • 2023年12月28日

ブドウ栽培農家の暴動・・・シャンパンのそうだったのか!⑯

20世紀が幕を開けると、シャンパーニュには募る不安が漂い始めました。鉄道は、メゾンにとっては武器でした。。鉄道輸送はシャパーニュ地方以外の安いブドウの入手をもたらし、メゾンが使い始めた一方で、ブドウ栽培者にとっては災いでした。 1911年1月には栽培者たちがメゾンを襲うという暴動が起こり、半年余り騒乱状態が続きました。また、シャンパーニュ地方の帰属問題を巡り、マール県とオーブ県は対立しました。時の政府は有効な策を打ち出せず、1911年2月にはオーブブドウ栽培者が大規模なデモを起こしました。またマルヌも1万人もの大群衆による暴動を起こす騒ぎになりました。 1927年になるまでこの紛争の収拾には時間がかかりました。第一次世界大戦が教訓となったのです。そして1941年、シャンパーニュ委員会(シャンパーニュ地方ワイン 生産同業委員会)が設立されました。