- 2023年12月19日
シャンパンの歴史は17世紀末から、実は英国が先駆けだった・・・シャンパンのそうだったのか!⑧
シャンパーニュ地方のワインが発泡性ワインに変わっていった契機は17世紀末から。自然発砲のやや泡立つワインは、一部の貴族階級や富裕層の間で好まれるようになりました。1690年から、「ヴァン・ド・シャンパーニュ」(シャンパーニュのワイン)という言葉が使われるようになりましたが。実は、自然発泡性ワインに注目したのは、フランスでなく英国でした。
シャンパーニュ地方のワインが発泡性ワインに変わっていった契機は17世紀末から。自然発砲のやや泡立つワインは、一部の貴族階級や富裕層の間で好まれるようになりました。1690年から、「ヴァン・ド・シャンパーニュ」(シャンパーニュのワイン)という言葉が使われるようになりましたが。実は、自然発泡性ワインに注目したのは、フランスでなく英国でした。
ドン・ピエール・ペリニョンの在籍したオーヴィレール修道院はブドウ畑を幾つも所有しワインを製造していました。フランス革命時に、教会の財産は国有化され、売りに出され細かく分割されました。ただ、オーヴィレール修道院の畑だけは分割されず後のモエ・エ・シャンドン者が所有することになりました。
寒冷なシャンパーニュ地方では、17世紀頃までは色の薄い赤ワインが中心に生産され、まずは“泡をもたないワイン”がシャンパーニュ地方に繁栄をもたらした。歴代のフランスの王はランスで戴冠式を行い、シャンパーニュのワインで祝った。
シャンパーニュ地方の下層土は一面、白亜紀の厚い石灰岩で覆われています。この種の地層はスポンジ状で水はけがよく、多湿を嫌うブドウの苗の成長と果実の成熟にきわめて有利です。保水力や排水性に長けていて、アルカリ度・pHが高く、カルシウムが豊富であることから、栄養摂取に優れています。
古来、ヨーロッパでは民族間の覇権争いが繰り返され、侵略戦争が絶えませんでした。シャンパーニュ地方ではフン族の襲来をはじめとして、百年戦争、30年戦争、フロンドの乱、スペイン戦争、ナポレオン戦争、これらのほとんどすべてが当初シャンパーニュ地方で戦われました。シャンパンの華やかさ、きめ細やかさの裏側には、悲惨な歴史を乗り越えて花開かせた多くの人々の努力がありました。
シャンパーニュ地方の緯度は北緯49度。これは日本で言えば北海道より北に位置し、樺太の緯度です。メキシコ湾流(ガルフストリーム)に端を発する北大西洋海流という世界最大の暖流の影響でぶどうを栽培しワインを造ることができています。
ワイン検定(ブロンズクラス)が終わりました。2023年秋の今回実施して感じたことを綴ります。今後、検定試験を受験される方向けに紹介します。備忘録代わりにもなりますので。
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