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  • 2024年1月11日

007に登場するシャンパンは?・・・シャンパンの表と裏側⑦

映画007ではジェームス・ボンドがワインを片手にするシーンが必ずあります。そしてシャンパンは全てのシリーズで登場します。どんなシャンパンが登場しているのかを調べてみました。1作目の『ドクター・ノオ1962年』ではドンペリ1955年が出てきました。以来25作までに登場したシャンパンは、ドンペリ、ボランジェが圧倒的に多く登場します。テタンジェ、クリュッグ、ポメリー、ヴーヴ・クリコのわずかですが登場しています。「プロダクト・プレイスメント」と呼ばれる、映画作品中に商品を盛り込む手法によって宣伝効果を狙ったものと言えます。

  • 2024年1月7日

シャンパンをめぐる宣伝・名言・・・シャンパンの表と裏側⑥

シャンパンにまつわる宣伝や名言を紹介します。19世紀の終わりのウジェー ヌ・メルシエの巨大な大樽や熱気球。女性や著名人の名言は、ポンパドール、エリザベット・ボランジェ、ココ・シャネル、オードリー・ヘップバーン、マリリン・モンロー。、政治家・作家は、ウィンストン・チャーチル、ナポレオン1世、オットー・フォン・ビスマルク、ヴォルテール、オスカー・ワイルド。

  • 2024年1月6日

シャンパンのブドウは「山」「谷」「丘」で栽培される。・・・シャンパンの表と裏側⑤

シャンパーニュ地方のブドウ畑は5つの大きな地区に分かれており、最も遠い地区は200km以上離れています。大小の川が流れ、いくつもの丘(「コトー」)が連なり、さまざまな土壌と下層土からなります。この多様性が、数十年に及ぶ、各地区の栽培条件に適したブドウ品種の栽培を決定付けるものとなっています。5つの地区は以下です。

  • 2024年1月5日

シャンパンの村のランク付けは厳格・・・シャンパンの表と裏側④

「シャンパーニュ」とラベルに記載できるのはシャンパーニュ地方の5つの県にまたがっています。マルヌ県(66%)、オーブ県(23%)、エーヌ県(10%)、オートマルヌ県、セーヌ・エ・マルヌ県ブドウ畑は格付けは、エシェル・デ・クリュ(1911年制定)という分類によって、村単位で格付けが行われています。ランクは特級とその下のランクの一級から5級までがあります。319の村がありますが。特級の村は17あり、一級の村は42です。特に、グラン・クリュはマルヌ県にあるモンターニュ・ド・ランス地区の9つの村、ヴァレ・ド・ラ・マルヌ地区の2つの村、コート・デ・ブラン地区の6つの村にあります。

  • 2024年1月4日

宇宙での泡、泡と香り、口紅と泡、ビールの泡との違い・・・シャンパンの表と裏側③

シャンパンの泡についての様々な面白い事実を記載しています。・もし無重力の宇宙でシャンパンを飲んだら泡はどうなる?・月や木星では泡はどうなる?・泡があるシャンパンと泡がない白・赤ワインはどちらが香りを感じやすいか?・口紅の口でシャンパンを飲む泡はどうなる?・ビールの泡とシャンパンの泡は違う?

  • 2024年1月3日

シャンパンの泡研究、泡の数・大きさ、立たない泡、香りを運ぶ泡・・・シャンパンの表と裏側②

シャンパンの泡研究しているランス大学のジェラール・リジェ・ベレール物理学の先生の著した「シャンパン 泡の科学」にはシャンパンの泡について、泡の正体、発生のメカニズム、泡の香りへの影響など興味深い研究成果が述べられています。 例えば、「きれいすぎるグラスでは泡は立たない」「ビールの泡とシャンパンの泡は大きさや固さが違う」。この書で明らかになった意外なこと、好奇心をとてもかきたてられた内容を記載しています。

  • 2024年1月3日

シャンパンの「健康上の効能」と「泡の素敵な表現」・・・シャンパンの表と裏側①

 現代のシャンパンには様々な面があります。これまでの「そうだったのか!」シリーズでは、シャンパンの歴史的な経緯の中にある様々な意外な事実を述べてきました。今回からの「シャンパンの表と裏」シリーズでは、現代のシャンパンそのものの真実とその裏側にある蘊蓄や意外な側面を記載します。 シリーズ第一回目は「健康上の効能」と「泡の素敵な表現」についてです。

  • 2024年1月1日

辛口シャンパンを先駆けた「ルイーズ・ポメリー」のポメリー・・・シャンパン・メゾン⑥

ルイーズ・ポメリーは、ランス市の東北にあるアネル村で生まれ、1839年にルイと結婚。17年後ルイがポメリー・エ・グレノの経営権を握りましたが2年後の1858年に死去し、39歳にして事業を引き継ぎました。 シャンパンは今でこそシャンパンは辛口(Brut)が主流ですが、かつては甘口が占めていました。ルイーズ・ポメリーは辛口のシャンパンを造ることに挑み、信念を貫いて辛口シャンパンの製造に挑みました。ポメリーの「ブリュット・ナチュールのおかげで、英国はシャンパーニュ最大の輸入国になりました彼女は、シャンパーニュとランス市の発展に巨大な貢献をしたとして、女性で初めて国葬になりました。

  • 2024年1月1日

動瓶(ルミュアージュ)を考案した「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」のヴーヴ・クリコ・・・シャンパン・メゾン⑤

 バルブ・ニコル・ポンサルダンは夫・フランソワ・クリコとの結婚の4年後の1803年、未亡人になってしまいます。メゾンを継ぐことになり1810年に社名を「ヴーヴ・クリコ・ポンサルダン」に替え新たなスタートを切りました。この頃ナポレオンがロシア侵攻でビジネスは大苦戦しましたが、1814年が終わる前までに危険を冒して「彗星のワイン」をロシアへ船で輸出し事業を立て直すのに成功しました。 また、1816年、瓶に澱・濁りのないシャンパンを造る製法・動瓶(ルミアージュ)を確立しました。 さらに、赤ワインをブレンドしてロゼのシャンパーニュを造ったのもヴーヴ・クリコ・ポンサルダンが最初でした。

  • 2023年12月30日

シャンパーニュを発展させた女性とドイツ人たち・・・シャンパンのそうだったのか!⑱

シャンパーニュの成功は、生産と販売を根底から結び付けたブドウ栽培・ワイン製造者の力によるもので、立役者はネゴシアンたち。ドイツ系フランス人の人々が貴重な役割を果たしました。現在のヴーヴ・クリコ、クリュッグ、ボランジェ、シャルル・エイドシック他、G・H・.マム社、ドゥーツです。また女性企業家であった未亡人が活躍しました。クリコ・ポンサ ルダン未亡人、マダム・ポメリー、マダム・ボランジェです。